2 「私には全部、魔法に見えるわ」 ダイニングテーブルで数学と物理の教科書を広げていたアキは、先程から二人のエンジニアの間で繰り広げられていた会話を拾い、悩ましげに溜息をついた。おそらく、二人の会話だけでなく目の前の問題文にも”魔法”がかけられているように見えるのだろう。かつてサイコデュエリストの「黒薔薇の魔女」と恐れられたとは思えないほど棘の抜けた、歳相応の女学生の言葉である。 確かにプログラムの知識や技術を持たない人々にとっては、コードに刻まれた大量の文字列はまるで魔法陣のように見えるだろう。知識として、普段見慣れているはずの文字や記号の文意が一切読めないのだ。にも関わらず、不思議とそれらの文字列によって様々な動作が制御・実行される。タネさえ分からなければ、魔法と言っても差し支えない。 「確かに、『高度に発展した科学技術は魔法と区別がつかない』なんて、昔から言われているからね」 すかさず当の魔法使いがフォローを入れる。確か、昔のSF小説家の言葉だったろうか。技術が広く人々に共有され再現可能な設計図なら、魔法は特別な人々にしか唱えられない魔法陣といったところだろう。 つまり技術と魔法とは、具体と抽象の差なのかもしれない。具体と抽象の間を往来し、相互の言葉を自在に翻訳するブルーノは、まさしく技術者であり魔術師でもあった。 あまり専門的な話を繋げるつもりはないのか、ブルーノは自嘲っぽく言葉を選んで続けた。 「コードを打ってるボク自身、どうして動作してるかわからないときもあるからね」 「なんだそりゃ。仕組みを分かってないのに動かせるなんてことがあんのか?」 配達の仕事を終え、夕食の準備を始めたクロウが会話に割り込んだ。そのクロウの忙しない動作からは、エンジニア二人とアキが話していた元々の文脈を押さえているは分からない。 これには返答に悩んだブルーノが、少し唸る。遊星もブルーノの”魔法”を間近で見ている身として助け舟を出してやりたかったが、どうも話が拗れそうである。ブルーノがそうだ、と先程手にしていたマグカップを手に取って説明を始めた。 「プログラムに限らず、たとえばこのマグカップも。どうやって大量生産されてボクたちの手元に届けられるか、一から説明するのは難しいでしょ? ボクたちの日常は、既に魔法で彩られているんだ」 「冷蔵庫ってすげーよな。モノ仕舞っておけば勝手に冷えるし」 食材やボウルをシンクに広げているうちに、どうやらクロウの興味の範疇から離れたらしい。一応、彼の目の前の冷蔵庫もまた、魔法道具のようなものだと言いたかったのだろう。 一足先に宿題を終えた様子の龍可がシャーペンを机に置き、遊星とブルーノに話を戻した。 「きっと二人にしか読めない”秘密の呪文”を書いてるのね」 精霊の声が聞けるという少女は、不思議と実感の込められた声色で彩る。 それまで口を開かなかったジャックが、コーヒーカップを片手につまらなさそうに鼻を鳴らして会話に乗り込んだ。 「なるほど。魔術師たちは俺たちが読めないのをいいことに、夜な夜な怪しげな魔法陣を書いているわけだな」 何をコソコソと書かれたものか分かったものではないな、とジャックは嫌味っぽく付け加える。 「それはどうかな」 「なんだと?」 自らが優位に立つ決闘さながら、からかうように遊星は幼馴染の挑発に乗った。その回答が意外だったのか、ジャックは改めて視線を遊星と合わせた。見えない火花が飛ぶ。 「じゃあ、完成してからのお楽しみだね!」 遊星とジャックの応酬が続きそうなところに、龍亜の無邪気な笑顔がはじけた。結局のところ、碧い髪の少年が出したカードがこの場では一番強く機能したようだ。遊星は静かに頷く。 とにかく遊星とブルーノには、まず目の前のプログラムをWRGP前に完成させる絶対的理由があるのだ。記憶喪失の魔法使いが最後の大仕上げに伏せた”魔法”をお披露目してもらうためにも。
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「私には全部、魔法に見えるわ」
ダイニングテーブルで数学と物理の教科書を広げていたアキは、先程から二人のエンジニアの間で繰り広げられていた会話を拾い、悩ましげに溜息をついた。おそらく、二人の会話だけでなく目の前の問題文にも”魔法”がかけられているように見えるのだろう。かつてサイコデュエリストの「黒薔薇の魔女」と恐れられたとは思えないほど棘の抜けた、歳相応の女学生の言葉である。
確かにプログラムの知識や技術を持たない人々にとっては、コードに刻まれた大量の文字列はまるで魔法陣のように見えるだろう。知識として、普段見慣れているはずの文字や記号の文意が一切読めないのだ。にも関わらず、不思議とそれらの文字列によって様々な動作が制御・実行される。タネさえ分からなければ、魔法と言っても差し支えない。
「確かに、『高度に発展した科学技術は魔法と区別がつかない』なんて、昔から言われているからね」
すかさず当の魔法使いがフォローを入れる。確か、昔のSF小説家の言葉だったろうか。技術が広く人々に共有され再現可能な設計図なら、魔法は特別な人々にしか唱えられない魔法陣といったところだろう。
つまり技術と魔法とは、具体と抽象の差なのかもしれない。具体と抽象の間を往来し、相互の言葉を自在に翻訳するブルーノは、まさしく技術者であり魔術師でもあった。
あまり専門的な話を繋げるつもりはないのか、ブルーノは自嘲っぽく言葉を選んで続けた。
「コードを打ってるボク自身、どうして動作してるかわからないときもあるからね」
「なんだそりゃ。仕組みを分かってないのに動かせるなんてことがあんのか?」
配達の仕事を終え、夕食の準備を始めたクロウが会話に割り込んだ。そのクロウの忙しない動作からは、エンジニア二人とアキが話していた元々の文脈を押さえているは分からない。
これには返答に悩んだブルーノが、少し唸る。遊星もブルーノの”魔法”を間近で見ている身として助け舟を出してやりたかったが、どうも話が拗れそうである。ブルーノがそうだ、と先程手にしていたマグカップを手に取って説明を始めた。
「プログラムに限らず、たとえばこのマグカップも。どうやって大量生産されてボクたちの手元に届けられるか、一から説明するのは難しいでしょ? ボクたちの日常は、既に魔法で彩られているんだ」
「冷蔵庫ってすげーよな。モノ仕舞っておけば勝手に冷えるし」
食材やボウルをシンクに広げているうちに、どうやらクロウの興味の範疇から離れたらしい。一応、彼の目の前の冷蔵庫もまた、魔法道具のようなものだと言いたかったのだろう。
一足先に宿題を終えた様子の龍可がシャーペンを机に置き、遊星とブルーノに話を戻した。
「きっと二人にしか読めない”秘密の呪文”を書いてるのね」
精霊の声が聞けるという少女は、不思議と実感の込められた声色で彩る。
それまで口を開かなかったジャックが、コーヒーカップを片手につまらなさそうに鼻を鳴らして会話に乗り込んだ。
「なるほど。魔術師たちは俺たちが読めないのをいいことに、夜な夜な怪しげな魔法陣を書いているわけだな」
何をコソコソと書かれたものか分かったものではないな、とジャックは嫌味っぽく付け加える。
「それはどうかな」
「なんだと?」
自らが優位に立つ決闘さながら、からかうように遊星は幼馴染の挑発に乗った。その回答が意外だったのか、ジャックは改めて視線を遊星と合わせた。見えない火花が飛ぶ。
「じゃあ、完成してからのお楽しみだね!」
遊星とジャックの応酬が続きそうなところに、龍亜の無邪気な笑顔がはじけた。結局のところ、碧い髪の少年が出したカードがこの場では一番強く機能したようだ。遊星は静かに頷く。
とにかく遊星とブルーノには、まず目の前のプログラムをWRGP前に完成させる絶対的理由があるのだ。記憶喪失の魔法使いが最後の大仕上げに伏せた”魔法”をお披露目してもらうためにも。